パタヤ。
過去のパタヤを超えるパタヤはもう存在しません。
別にノスタルジーに浸るつもりはなく、私が初めてパタヤに訪れたのは2014年、ほんの3年前のことなのです(たった3年という短さに驚きました)。この間にパタヤはなんら変わることなく、今も世界中の男性を堕落の道へと誘(いざな)っています。
変わってしまったのは私です。
裸足でついてきた女の子
ソンクラーンの日、ソイ6で水を浴びせ掛けられ歩いているとバービアで働いている女の子が私のあとをついてきました。私のことを気に入ってくれたのでしょう。
女の子の名前はビム。裸足でした。
そのまま一緒にホテルに帰りました。氷の入った水を浴びせられて寒かったのでバスタブにお湯を溜めました。お互いずぶ濡れになっていたので、服を着たまま一緒に入りました。そのときに「どんな女の子がタイプなの?」と聞かれて、どのように答えたかは覚えていません。他にもいろいろ話をしたと思うのですが、記憶からは抜けています。
お風呂から上がったあとは、当然のようにセックスしました。ところが、2日前にビムが働いている隣のバーで、私がペイバーしていたのを見ていたらしく、押し倒す前に「隣のバーの女の子にお金を払ったんだから私にも払って」と言われました。
1人でホテルについてきてお風呂に一緒に入っている以上、お金なんて払わなくてもできることはわかっています。「払わないよ」と言いました。特に催促はされませんでした。
もう会う気はなかったので、そして向こうからも聞いてこなかったので、連絡先は交換せずに別れました。出会ってセックスして別れる刹那的な出会い。パタヤではよくあることです。
パタヤ最終日
数日後、ソイ6を歩いているとビムに声をかけられました。連絡先を聞かれたので交換しました。
そして、パタヤ最終日は夜遊びをする気にもならなかったので、ビムを映画に誘いました。ビムは映画館で映画を見たことがなかったようなので、私との楽しい思い出を作ってほしかったのです。映画は喜んでもらえたと思います。そして、映画を見たあとはそのままさよならしました。
一般社会では、デートから始まって最後にセックスするものですが、セックスから始まりデートに終わる、順番が逆です。これはすごくパタヤらしい。
パタヤにずっといると、セックスに対する興味はどんどん薄れていきます。女の子の裸体を見ても興奮せず、ただの風景の一部とみなすようになります。セックスは最上級の愛情表現の1つです。しかし、パタヤのセックスは単なる売り物に過ぎず、そこらじゅうの女の子に値札がついている状態です。
そんな状態にだんだん嫌気がさしてくるのです。
そして、酒池肉林を求めてパタヤに来たのに、いつしか人の心を重視するようになるのです。
セックス市場は短期的には美人投票だが、長期的には心量計だ
-パタヤの父
パタヤに青春を感じる
学生時代のことを思い出すと、「あの頃の自分は若かった」と何とも甘酸っぱい気持ちになります。若さとはいったい何なのでしょうか?
1つはエネルギーだと思います。知識や経験が不足しているのにもかかわらず、根拠のない自信とみなぎる体力で突っ走り、1つのことを追いかけられるのです。
私は3年前のパタヤにいた自分を思い出すと青春を感じるのです。あの頃の私は、それだけのエネルギーがありました。これは、私だけのエネルギーではありません。パタヤからエネルギーを吸収して、実力以上のエネルギーを発揮していたのです。
今では、パタヤからエネルギーを受け取ることができなくなりました。
ゴーゴーバーで浴びるほどお酒を飲んだし、ゴーゴーガールと同棲したし、クラブで出会った女の子と寝たし、コンドミニアムを借りて生活したし、ソンクラーンに参加したし。
過去のパタヤを超えるパタヤはもう存在しないのです。
でも、私はパタヤ依存症なので、また行きたくなるでしょう。そして、パタヤに行ったら何をするのでしょうか?
ソンテウに乗ってウォーキングストリートに行き、バカラ→スーパーガールとゴーゴーバーを次々にホッピングして、顔見知りの女の子を見て安堵し、新人の女の子をペイバーするのです。それはもう容易に想像できるのです。